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開運の鼓

上野広小路に救い小屋を設けて、幕府では貧民を救助した。また浅草の米蔵を開いて(もみ)を窮民に頒ったりした。しかしもちろんこんな事では日々に増える不幸の餓鬼どもを賑わすことは出来なかった。米の磨汁(とぎしる)を飲むものもあれば松の樹の薄皮を引きって(するめ)のようにして食うものもあり、赤土一升を水三升で解きそれを布の上へ厚く敷いて天日に曝らして乾いたところへ(ふ)の粉を入れて団子に円め、水を含んで喉を通し腹を膨らせる者もあった。金はあっても売り(て)がないので、みすみす食物を摂ることが出来ず、錦の衣裳を(まと)ったまま飢え死にをした能役者もあった。元大坂の吟味与力の陽明学者の大塩平八郎が飢民救済の大旆(たいはい)のもとに大坂城代を焼き打ちしたのはすなわちこの頃の事である。江戸三界、八百八町、どこを見ても生色なく、(うごめ)くものは飢えた人、餓えた犬猫ばかりであったが、わけても本所深川辺りは当時の盛り場であっただけ悲惨(みじめ)さは一層目に立った。

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