一九四九年の日本の夏は、勤労人民のすべてにとって、切実な生存擁護のためのたたかいの季節としてはじまった。七月四日に国鉄は九万五千人の整理を発表し、組合側はそれに対してただちに抗議を組織化した。国鉄当局は九日―十一日の国電ストの損害賠償として組合あいてに二千万円の支払いを提訴した。これは、ルイスなどに対して使われたが、これまでの日本にはなかった新しい権力行使の方法である。七月五日になって、夕方のラジオは意外なニュースをつたえた。下山国鉄総裁の行方不明事件が告げられた。そして、六日午前五時すぎ、小菅刑務所のわきの五反野南町のガード下で、無残な轢死体としての下山総裁が発見された。
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